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演劇を見たままの感想を綴ろう


by engekistep

TEAM☆アヤノの☆の意味は?

なんだったんでしょう。本人に聞いてみなくては。
 
 さて、貢川アートフェスタ参加作品。
 平成19年10月8日。PM7:00~ 
  「しらみとり夫人」 作・テネシーウィリアムス  演出・斉藤綾乃
    HANA まこっち Ryoko   

 元アンドロの斉藤綾乃率いるTEAM☆アヤノの第一作。テネシーウィリアムスのしらみとり夫人を斉藤綾乃が料理した。アンドロの芝居を見た人は「あんな感じ」といえば分かるでしょう。決して普通の芝居はしませんね。綾乃さんは。
 で、40分の芝居。まずは、成功。だって、この日だけで40人以上の動員。雨なのにね。ええ、もう31人以上の動員があったらそれだけで成功なのです。ええ。

 テネシーウィリアムス。病めるアメリカの社会を冷めた目で見る劇作家。彼のテーマには、精神を病み、それでも希望を探し生きる人達が多く描かれている。ガラスの動物園ではガラス細工の動物達との世界に逃避行する妹を。またバーサよりよろしくや欲望という名の電車では精神を病む女性が、娼婦が崩れていく自己世界だけを頼りにする姿を。
 そんな偏った愛を描き出す彼の作品を、アヤノさんは白壁と白砂で表現した。

 で、作品評価は。
 アンドロの片割れだった萩原興洋のブログでは、彼女の作品のテーマを「アンドロの遺伝子を継ぐ」と有った。そう、アンドロは二人で一つの世界を作っていたんだなと改めて実感したのだ。だからこそ思った。「甘い」と。
 この甘いは、ツメが甘いとか、甘ったるいという悪いだけの意味ではない。近い言葉で言えば女性的なのだ。特にエログロな部分での深さが無い。下手すると綺麗な方に偏っているのだ。
 エログロ。これは下世話な話では無い。エログロは誰でもが持つ、あえて外に出さない人間のダークな部分を表現する言葉なのだ。アンドロ時代ではこのエログロの切り方が鋭かった。多分この部分では興洋が作っていたのだろう。
 アヤノエログロはこの部分が表面的なのだ。
 興洋との共作のエロは、例えば女性なら崩れる寸前の危うさをギリギリ追及する。視覚的な表現でするなら、着物の女性の表現なら胸がはだけるだらしなさからのエロであり、アヤノは襟首から見える背中のなまめかしさだろう。
 だからね、ダメだって訳ではないの。どちらが良いってわけではないから。ただね、過去の作品を見てきた人間からは、どうしても比べてしまう。これは綾乃さんにとって損だな。綾乃色を明確に出すためにも、あと3作品くらいは最低でも挑戦して欲しいなあ。まあ、やるだろうけど。

 役者に関しては、それぞれの劇団なりにやってきた兵なので。
 まあそれでも。
 まこっちはB-BLACKの役者さん。過去のこの観劇日誌にも書いたが、彼はここ数年で大きく成長した役者の一人。顔も良いのよ。スッキリとしてるので深みのある役が弱い所もあるけど、台詞を真っ直ぐ言い切れる身体は優れものだと感じている。
 今回は皆顔は白塗り。つまり個性を殺し、ナマを殺し、体を道具として扱っているということ。これがちょっと辛かったか。
 多分、彼は今回の役について何も考えていないと思う。ただ単に自分を演劇の道具にしていると、演出の人形になっていると感じた。それでいいのだ。少なくとも今回は。妙な色気も何もいらない。
 ただし、ラスト近くが弱かった。彼は十字架を背負って出てくる。残念ながらこの十字に意味が込められないのだ。彼の人生がかぶさらない。もったいない。
 この元の本を見たことが無いのでどういじったのかは分からないが、彼はチェーホプという設定なのだ。もしこの部分を綾乃さんがそうしているなら、何故に彼はチェーホフなのかの意味と動機が無い。だからラストの意味が殆んど「白の綺麗な世界」ど終わってしまっているのだ。綺麗に魅せることだけが役者の仕事ではないはずだ。もちろんそれだけを求める客は居るだろう。(言い方は悪いがそれしか理解できない客も居るのだ)でも、そんなのはすぐに飽きられる。心のどこかを針で突かれる思いを観た人に残す役者になってほしい。
 Ryoko。彼女の芝居は久しぶりに見た。彼女は今まで弱かった。失敗した姿は見たことは無いが、例えば本番中に客が変なリアクションしたら、それが気になって芝居が止まってしまうくらいの弱さがあった。今回は落ち着いている。多分それは年をとったせいだな。もちろん良い意味で。色んな経験をしてきたんだろうな。落ち着いてみていられたよ。
 でもね、残念なのは自分の殻を絶対破らないことだ。型破りの役をやっても、Ryoko自身が・・・いや、それはもういい。
 ただね。今回は良い方に転がったけど、喉をつぶしたのはまずいんでない?押しの強さはとっても出てくるけど、細かい表現がおろそかになるんだよ。抜く芝居っていうのかさ。
 HANA。ここのところ立て続けに芝居漬け。いいねえ。HANAもどちらかと言うと自分の個性を出さない、と言うか人形であれと考えてる人。だから今回もそれでいいのだ。でもねえ。エロが無いのよ。HANAという女優は固いんだよね。根がまじめなのかなあ。娼婦役なんだけど、男の匂いが無いんだ。外国の金持ちがパトロンで金を送ってくるという台詞がうそっ臭いんだ。いや嘘なんだろうけど。芝居の設定でも。でも、そんな嘘でも信じなければ自分を保てない強さと弱さが欲しいの。もったいない。本当にもったいない。
 綾乃さんに対しての「甘い」とか「綺麗」という表現を使った原因はここにも。体の線を出し下着を見せるというのは方法として正しい。でもそれはたぶん女性から見た色っぽいだと思うのよ。HANAにはあまり隙が無いの。簡単に捨てられる女という危うさがね。
 彼女には片パイ出したら?などとアンケートに書いた。彼女がもし本当にドレスの胸元から胸が完全に肌蹴たとき、色っぽいとか思われたら失敗なの。だらしない、と思われるようなら、HANAは変われるのになあ・・・と、HANAファンとしては違う方向で見てた(と思う)。

 ま、稽古も含めて時間が無かったのかな。綾乃さんが動きを指示して、そのおとりに動くことがまあ出来た、というレベルか。
 っていうか、アンドロ時代もそうだけど、役者が理解する、指示された動きを分かってやってるというところまでいくには並大抵のことじゃないのね。どこでもいいし、誰でもいいけど、もう一歩踏み出すことが出来たら「素晴らしい」といえるんだがなあ。
 オープニングのうつろな感じも静止画の綺麗さは有るけど動画ではないし、仕切りの幕(紙だから幕ではないが)に飛び散るのもアイデアと画像は分かるが意味が繋がらない。俺の言い方で言うと動機が繋がらない。
 それも「甘さ」なのね。

  http://sompi.exblog.jp/6281653/
 このお方は隣の席で見てた方。なんと好意的な。本当はこうでなくちゃあいかんのだがねえ・・
by engekistep | 2007-10-09 12:41 | 演劇