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演劇を見たままの感想を綴ろう


by engekistep

Free Project 4 ハルシオンデイズ

2006年7月15日(土)  会場18:30/開演19:00 山梨県立文学館
作・鴻上尚史 演出・MIYUKI

 山梨の女性だけの若手の演劇チーム。フリプロももう4回目の公演。若手がんばってるねえ。
 先日のBの公演の時に真由さんと会った。土曜日1回きりの公演。勿体無いねえと聞いたら「お客が集まらないから」と。難しいところだね。分散しても2回公演にしてトータルの客数を上げるか、1回にして席を埋めるか。まあ、それ以前にホール使用料、有料スタッフも2回分というのが重くのしかかってくるわけで。そう考えると同じ県内のBはやっぱ異質だな。お金も情熱も掛け方が桁違い。
 安く押さえる方法はないものかねえ。

 ハルシオンデイズは第三舞台の鴻上尚史の書いた本である。現在は第三舞台も活動を停止。鴻上はプロデュース公演を中心にあちこちやってますなあ。純粋な第三舞台は俺もリアル世代なんだけど、チケット争奪戦わずか1勝で活動停止されてしまった。それも最後の方の公演で、珍しくフルメンバーに近かったのを観る事ができて面白かったけどね。
 ここ10年以上、鴻上の書く本はパターン化している。キーワードは「インターネット」「精神的病気」「トリップ」「過去と現在」「壁を越える」「出会いと仲間」など。過去の作品をリメイクした物もこれらのキーワードをちりばめてから再出発している。おそらくこれらのキーワードは鴻上にとってものすごいショックな出来事だったろうな。ネット普及により社会的価値観さえ覆される、今まで理解不能で恐怖でしかなかった精神世界が細分化・パターン化され素人でも分かるような言語に変換された。まあ、正しくは理解出来た気になった。羊たちの沈黙やMATRIXのようにね。
でもさ・・・パターン化しすぎって思っちゃうんだな。と思う反面、この手の事件の起きない日は無いって事も哀しい事実だな。

 ネット掲示板で自殺志願者を集める書き込みを見た4人は誘いの場の公園で出会う。自殺意思を確認しあう4人。出来ることなら「苦しまずに」。だがその一人は実は自殺を止めようとするカウンセラーであり、彼女もまた自分のクライアントの影を人格として持っていた。数日後、主催者の自殺の書き込みで彼女のマンションの1室に集まるが、主催はそんな書き込みはしていないという。それどころか先日会った時の主催とどこか違う。彼女は起きるであろうミサイル攻撃に対して「人間の盾」となり子供たちを守っていると言う。消極的死ではなく、人々の犠牲となる死。それも明るく楽しく死ぬための方法を探り・・・

 「で?」

 感想を正直に書かせてもらうとこの一言だけしか残らない。演技というところだけ取り出してみれば散りたてて悪いって所も少ない。でも、良いところって何だろう。
 確かにピンポイントで拾い上げれば、あの場面のこういう演じ方は良いねえ、と挙げられるのだが、そんなもの観に来たわけじゃあないし。そんな個人プレーいらないし。
 なぜこの人たちは死にたいのだろう。もちろん台詞としても少しはある。でもそれが役者演ずる「その人の苦しみ」に昇華されていないのだ。苦しく死ぬのは嫌だから皆でなにかしながら死のう、というだけの本だったのかな。最後はどうなったのだろう。はっきりとした結末は書かれてはいないが、観た人が自由に理解できるほど何かを与えてはいないんだな。「共感」が出来ないんだ。だから何の感動も無く終わってしまった。
 鴻上の作品である「トランス」。3人芝居ではなかなかの名作であり、あちこちで上演されている。トランスに登場する人物は、精神的病と同時に人格的にも欠けた3人が、まるでパズルの様に話を進めていく。お互いが足りない所、欠けてしまったところを他人の言葉で埋めていくように。
 精神病院。それぞれの特徴のある3人の患者は、それぞれの病気の特徴を真似しながらロールプレイをし、役割を交代させていく。AがBになった時、Aは自分の言葉でBにとっての死を語る。そこで初めて自分を見つめられるという話だ。
 このトランスだって、台本に書かれた字面をそれっぽくしゃべってもだめなのだ。同じ台詞を役割を代えて、そこにそれぞれの思いが入って初めて生きた言葉となる。
 役者と演出のコミュニケーションの無さが原因だろうか。良いところは沢山あるのだ。それが証拠に笑いを取るシーンでは子供が沢山笑ってたじゃないか。今度は笑いじゃないシーンで目をキラキラさせてやろうよ。

 あと、どうも気に入らなかったのは、音楽だな。芝居と音楽の方向性があってない。どちらも個人プレーだ。自己満足な音の出し方だな。確かに芝居は音で救われる事が沢山ある。新感線のように音が無くては成立しない芝居もある。今回のはそうだったかなあ。音で役者を引っ張ろうとでもしたのだろうか。だとしたら傲慢でしかない音だな。とにかく気持ち悪い。これも構成を含めた音と演出と役者のコミュニケーション不足。だったら無しで出来るくらいになって欲しいなあ。
 若い人が演劇をやる。ものすごい期待をしながらみているのだ。がんばれ。
by engekistep | 2006-07-17 10:00 | 演劇