演劇を見たままの感想を綴ろう


by engekistep

わが町

県民参加劇 わが町
作 ソーントン・ワイルダー 演出 望月純吉 

 文化ホール事業としてのワークショップである。 http://www.yamanashi-kbh.jp/eventsponsordetails.php?p=20d94bce7c733a3533bea78a1a57a6d2 
今年から山梨放送系に文化ホールがシフトしたせいか、とても良いワークショップ事業となった。せっかくなので、今後もぜひともお願いしたいところだ。
 このWS。県民からの公募で26名の役者が出演、その他として文学座の役者が2名参加している。演出の望月純吉は山梨出身の演出家であり、現在は文学座の演出部に居る。STEPでは最初の作品の「検察側の証人」からの付き合いになる。
 
 わが町についての解説は、ウィキの http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%8C%E7%94%BA を参照していただこう。古き良きアメリカの町、グローバーズ・コーナーズの、ある数年間の話である。それもごくごくありふれた日常である。

 で、もう早速感想と行こう。まずこれが、全くの新人を含めたWSであることを念頭に置いての話だが、良い出来である。その殆どの良さがこの本にあることは間違いがない。多分全て本の通りに演出したのではないと思うが、(つまりWSの方法として)色んな演じ方を教えつつ、それを芝居に入れるという点でも全く問題なく仕上げている。
 公演時間としては、WSとしては異例の3時間だ。でもね、決して退屈な3時間ではありません。体感では2時間欠けるくらいの時間の流れ。つまり、飽きない。この日は予定があって、2時間くらいと予想していたので、このあとの予定に遅刻してしまったが、そんなのもうどうでも良くなるくらいの出来である。

 この話は、特別なドラマなど無いのだ。ただ淡々と日常が描かれている。しかしそれでもこの作品の評価が高いのは、その土地に生きようとしている人間達の愛が描かれているからだ。
 ではなぜ「とても良い」にならないのか。役者の台詞や動きが拙いのは気にもならない。だってWSだもの。新人だからね。そんなところを突いても仕方が無い。
 作品としては3部作。1部ではこの「町」のごくごく普通の日常が描かれる。朝起きて家族がそれぞれの活動に入る。そして成長する。2部では結婚をテーマに、3部では死がテーマになる。
 というのを前置きにして、残念ながらとても素晴らしい作品にならなかったのが、この「日常」への愛だ。
 1部ではストーリーテラーが語る後ろで、母親が台所仕事をしている。あるいは、家族が帰宅し、迎える。セットには何も無い空間で、パントマイムで家事を表現する。
 ここだ。
 母親は(この当時の一般的な母親は)家族のために家事をする。ご飯を作る。毎日毎日あきもせず淡々と同じ事を繰りかえす。
 なぜ飽きないのか。それは、家族を思う気持ちだ。それを簡単に「愛」と言う言葉に置き換えさせてもらえば、例えば食材を切るにしても、無意識に家族が食べやすい形に切る。味付けもそう。家族の顔を思い出し、喜んでもらえるように。
 家族を迎える時は、仕事をしている人であれば「ご苦労様」の意を込めて。かばんを受け取る。上着を脱いだものを受け取る。朝の送り出しでは、できる限りの笑顔で、祈るようにいってらっしゃいと。子どもも、ありきたりの親の愛と分かっていて日常を送るのだ。
 残念ながら、この辺の愛の表現が足りなかった。ただ単に、日常生活を繰り返しているだけだと。
 おそらく全ての役者は、ここでの演技をしたくて参加している。台本はテキストであり、演出に言われたとおりの台詞と動きをしているのだ。でも、この本への愛はあったのだろうか。本の中の町に対する愛はあったのだろうか。
 これがプロの役者だったら、日常の生活に過剰な愛など入れないという表現をとるのだろうが、素人さんである。この辺の愛の表現が足りないので、残念ながら2部、3部の盛り上がりがイマイチなのだ。成立はしているんだよ。2部だけ、3部だけ、という見方なら。でも、例えば子どもの顔を見て、疲れた顔も吹っ飛ぶような親の愛が1部でもっと感じられたら、この3部はもう涙物になるのだ。
 「布石」だよね。

 と、WSにしては厳しい感想とさせてもらった。だって、いいんだもん。前にも書いたが、あくまでもWSだ。台詞の成り立ちや衣装などは色々言うまい。でも、ただ参加して良かっただけのWSではないからね。特にこの作品に対しては。
 
  場所は文化ホールのリハーサル室。リハーサル室を壁で仕切って明りを入れたとてもシンプルな舞台。部隊の成り立ちは大好きである。椅子とテーブルだけ。背景は白のみ。このシンプルさが、想像力を刺激する。
 リハーサル室なんて練習でしか使ったこともないし、ましてや正面から入ったことも無い。いつものように裏から入ろうとしたら止められた。この先は許可証がないと入れません。リハ室は正面からどうぞというので、正面から入れるのですか?正面から言ったこと無いので・・・と言うと「では許可証を提示してください」という。じゃ無くて、普通に正面から入れるのかと聞いているのに「ここから入るのなら許可を」というのだ。日本語が通じないなあ。玄関から入って階段上がるのですか?その先は何処を通ればいいのですか?と丁寧に聞かないと理解できないのかなあ。俺の話し方って。ああ。
[PR]
# by engekistep | 2010-02-13 18:42 | 演劇

新人B

劇団B-BLACK公演 「BANK BANG LESSON」
作・高橋いさお 演出・原和人  プロデュース・猫屋敷さな

スタジオ公演である。稽古場として使っている小さな小屋。アングラを、と熱望していたが残念ながら。早いとこ観たいものだ。色んな意味でね。

さて、演出曰く「新人教育プログラム」であるという。確かに役者の半分は最近参加した役者さんである。

場所はとある銀行。OL3人娘と支店長が居るところに、ピストルとナイフを持った2人組みの強盗が。金を要求し、逃げていくのだが実はそれは防犯対策のlessonであり、強盗もまた銀行員であった。
ところが。
あまりにも上手く行き過ぎて全くリアリティが無い、やるならもっと本物らしく、との反省を受け、ちょうどそこに居合わせた客と共によりリアルなlessonを始めるのだった。

とまあ、高橋いさおらしいノリの良い本である。簡単に言えば「コント巻き込まれ型不条理劇」とでも名づけよう。
この手の本は、登場人物がありえない状況に巻き込まれていく所がポイントにあり、そのあり得ない事があり得てしまうと思わせられるような強引さが必要である。客も巻き込まれないと置いていかれるのだ。

冒頭のシーン。役者の動きをシンクロさせて幕が開く。ダンス、などと言うとちゃんとダンスをしている人に申し訳ないのであくまで「動き」ね。それもだらだらとした。
で、3人組OLが状況説明的な芝居に入っていくのだが。
この台本を読んだことがないので、この3人のキャラが指定された物かどうかは分からないが、おそらく①メガネ掛けたとっても真面目OL。ちょっと空気読めない。②カワイイ系ミニスカOL。仕事よりいかに自分を可愛く見せるかを常に考えている。③仕事バリバリキャリアOL。クールな感じ。なのだろうか。なのだろうか、と書いたのはハッキリしないから。
そうしようとしているとは思うよ。でもそう見えない。例えばまだ台詞があるときはその台詞に頼って演技が出来るからいいが、他の役者がしゃべってるときに自分の任されたテーマの演技をしない。支店長が酔った演技で前面に出てくれるから、それに引っ張られている。支店長が酔えなかったらこれは恐ろしいことになりそう。(ちなみに自分が見たのは初回。)
この最初の10分が弱いので後がきついこと。
それに「私は今以上良くする為に何をどう演じたらいいの?でもこれ以上考えても分かんない」というオーラが出まくりであらら・・・と。
なんでもう一歩踏み出さないのだろうね。どこかで抑えているような。最後まで演じきれないうちに台詞が終わってしまった、みたいな。
なんだろう。綺麗に見える演じ方を追求するも、それが自分で綺麗と思えなくて迷っているような。
まあ、新人さんなんで、ここまでとしましょう。
お客さんは俺以外の方は皆さん笑っていたので、十分成功だったのではないでしょうか。
俺も笑えるように努力しないと。

でもさ、良い所もあったんだよ。佐野さんはますますシャープで綺麗になりつつあるね。雨宮さんは芝居したくてうずうずしてる。安達さんは相変わらず素直だし。同世代としてそのエネルギーはうらやましい。

  実はPCの調子が悪くて、何度もフリーズしては書き込んだのが消えてしまう。何度も書き直しているうちに、書きたかったことも忘れてしまって・・・・
イカンナア。若年性認知症が始まっているみたいだ。
思い出したら、また追加していこう。
[PR]
# by engekistep | 2007-12-10 12:07 | 演劇
なんだったんでしょう。本人に聞いてみなくては。
 
 さて、貢川アートフェスタ参加作品。
 平成19年10月8日。PM7:00~ 
  「しらみとり夫人」 作・テネシーウィリアムス  演出・斉藤綾乃
    HANA まこっち Ryoko   

 元アンドロの斉藤綾乃率いるTEAM☆アヤノの第一作。テネシーウィリアムスのしらみとり夫人を斉藤綾乃が料理した。アンドロの芝居を見た人は「あんな感じ」といえば分かるでしょう。決して普通の芝居はしませんね。綾乃さんは。
 で、40分の芝居。まずは、成功。だって、この日だけで40人以上の動員。雨なのにね。ええ、もう31人以上の動員があったらそれだけで成功なのです。ええ。

 テネシーウィリアムス。病めるアメリカの社会を冷めた目で見る劇作家。彼のテーマには、精神を病み、それでも希望を探し生きる人達が多く描かれている。ガラスの動物園ではガラス細工の動物達との世界に逃避行する妹を。またバーサよりよろしくや欲望という名の電車では精神を病む女性が、娼婦が崩れていく自己世界だけを頼りにする姿を。
 そんな偏った愛を描き出す彼の作品を、アヤノさんは白壁と白砂で表現した。

 で、作品評価は。
 アンドロの片割れだった萩原興洋のブログでは、彼女の作品のテーマを「アンドロの遺伝子を継ぐ」と有った。そう、アンドロは二人で一つの世界を作っていたんだなと改めて実感したのだ。だからこそ思った。「甘い」と。
 この甘いは、ツメが甘いとか、甘ったるいという悪いだけの意味ではない。近い言葉で言えば女性的なのだ。特にエログロな部分での深さが無い。下手すると綺麗な方に偏っているのだ。
 エログロ。これは下世話な話では無い。エログロは誰でもが持つ、あえて外に出さない人間のダークな部分を表現する言葉なのだ。アンドロ時代ではこのエログロの切り方が鋭かった。多分この部分では興洋が作っていたのだろう。
 アヤノエログロはこの部分が表面的なのだ。
 興洋との共作のエロは、例えば女性なら崩れる寸前の危うさをギリギリ追及する。視覚的な表現でするなら、着物の女性の表現なら胸がはだけるだらしなさからのエロであり、アヤノは襟首から見える背中のなまめかしさだろう。
 だからね、ダメだって訳ではないの。どちらが良いってわけではないから。ただね、過去の作品を見てきた人間からは、どうしても比べてしまう。これは綾乃さんにとって損だな。綾乃色を明確に出すためにも、あと3作品くらいは最低でも挑戦して欲しいなあ。まあ、やるだろうけど。

 役者に関しては、それぞれの劇団なりにやってきた兵なので。
 まあそれでも。
 まこっちはB-BLACKの役者さん。過去のこの観劇日誌にも書いたが、彼はここ数年で大きく成長した役者の一人。顔も良いのよ。スッキリとしてるので深みのある役が弱い所もあるけど、台詞を真っ直ぐ言い切れる身体は優れものだと感じている。
 今回は皆顔は白塗り。つまり個性を殺し、ナマを殺し、体を道具として扱っているということ。これがちょっと辛かったか。
 多分、彼は今回の役について何も考えていないと思う。ただ単に自分を演劇の道具にしていると、演出の人形になっていると感じた。それでいいのだ。少なくとも今回は。妙な色気も何もいらない。
 ただし、ラスト近くが弱かった。彼は十字架を背負って出てくる。残念ながらこの十字に意味が込められないのだ。彼の人生がかぶさらない。もったいない。
 この元の本を見たことが無いのでどういじったのかは分からないが、彼はチェーホプという設定なのだ。もしこの部分を綾乃さんがそうしているなら、何故に彼はチェーホフなのかの意味と動機が無い。だからラストの意味が殆んど「白の綺麗な世界」ど終わってしまっているのだ。綺麗に魅せることだけが役者の仕事ではないはずだ。もちろんそれだけを求める客は居るだろう。(言い方は悪いがそれしか理解できない客も居るのだ)でも、そんなのはすぐに飽きられる。心のどこかを針で突かれる思いを観た人に残す役者になってほしい。
 Ryoko。彼女の芝居は久しぶりに見た。彼女は今まで弱かった。失敗した姿は見たことは無いが、例えば本番中に客が変なリアクションしたら、それが気になって芝居が止まってしまうくらいの弱さがあった。今回は落ち着いている。多分それは年をとったせいだな。もちろん良い意味で。色んな経験をしてきたんだろうな。落ち着いてみていられたよ。
 でもね、残念なのは自分の殻を絶対破らないことだ。型破りの役をやっても、Ryoko自身が・・・いや、それはもういい。
 ただね。今回は良い方に転がったけど、喉をつぶしたのはまずいんでない?押しの強さはとっても出てくるけど、細かい表現がおろそかになるんだよ。抜く芝居っていうのかさ。
 HANA。ここのところ立て続けに芝居漬け。いいねえ。HANAもどちらかと言うと自分の個性を出さない、と言うか人形であれと考えてる人。だから今回もそれでいいのだ。でもねえ。エロが無いのよ。HANAという女優は固いんだよね。根がまじめなのかなあ。娼婦役なんだけど、男の匂いが無いんだ。外国の金持ちがパトロンで金を送ってくるという台詞がうそっ臭いんだ。いや嘘なんだろうけど。芝居の設定でも。でも、そんな嘘でも信じなければ自分を保てない強さと弱さが欲しいの。もったいない。本当にもったいない。
 綾乃さんに対しての「甘い」とか「綺麗」という表現を使った原因はここにも。体の線を出し下着を見せるというのは方法として正しい。でもそれはたぶん女性から見た色っぽいだと思うのよ。HANAにはあまり隙が無いの。簡単に捨てられる女という危うさがね。
 彼女には片パイ出したら?などとアンケートに書いた。彼女がもし本当にドレスの胸元から胸が完全に肌蹴たとき、色っぽいとか思われたら失敗なの。だらしない、と思われるようなら、HANAは変われるのになあ・・・と、HANAファンとしては違う方向で見てた(と思う)。

 ま、稽古も含めて時間が無かったのかな。綾乃さんが動きを指示して、そのおとりに動くことがまあ出来た、というレベルか。
 っていうか、アンドロ時代もそうだけど、役者が理解する、指示された動きを分かってやってるというところまでいくには並大抵のことじゃないのね。どこでもいいし、誰でもいいけど、もう一歩踏み出すことが出来たら「素晴らしい」といえるんだがなあ。
 オープニングのうつろな感じも静止画の綺麗さは有るけど動画ではないし、仕切りの幕(紙だから幕ではないが)に飛び散るのもアイデアと画像は分かるが意味が繋がらない。俺の言い方で言うと動機が繋がらない。
 それも「甘さ」なのね。

  http://sompi.exblog.jp/6281653/
 このお方は隣の席で見てた方。なんと好意的な。本当はこうでなくちゃあいかんのだがねえ・・
[PR]
# by engekistep | 2007-10-09 12:41 | 演劇

再開、します。

 お久しぶりです。
 訳有って更新せずにいた観劇日誌ですが、演劇仲間のBさんの励ましにより、ひっそりと再開いたします。Bさん、ありがとう。

 この間、STEPもプロデュース公演を行いました。
   キ・マグレ 「エリコ」 です。
 1ヶ月稽古、1ヶ月制作、1回公演、100人の動員予定、千円の席料、10万円の自己資金のみで行うというとんでもない企画。色んな人に失笑されつつも、自分では大変満足な公演でした。
 但し、観客動員数わずか31名。過去最低の動員記録となりました。もちろんこれの全ての責任は自分にあり、自分のプロデュース能力の無さ、演劇力の無さ、更には普段からの交流の無さに原因があります。
 だってね、役者である萩原興洋とHANAの演技、凄かったもん。いやほんと。何故にそれを1ヶ月で出来る、と。照明も無く、きちんとした舞台設定も無く、多目的ホールのような演劇をするには最悪の場所。役者にとっては自分をよく魅せるような武器も何も無い状態で、本当に裸の勝負をあの二人はやり遂げたのです。
 出来ればSTEP演出でなく、いや、キ・マグレのような低予算でなく、もっときちっとしたプロデュース団体が作った舞台ならばどれだけ良かったか・・と。すっかり一観客として見入った舞台でしたな。何も無くとも芝居は出来る。演じたい気持ちと方向性さえあれば芝居になる。山梨の演劇の現状に対する答えを、STEPとして出したつもりです。

 と言うわけで、この件も色んな要素を吹っ切る一因にもなりましたので、再開します。
 で、もしこの観劇日誌に取り上げられ、感想に対して腹立たしい思いをなさったら、どうぞ「たった31人のくせに!!」と反撃してくだされ。
 STEPは自分のこと平気で棚に上げていますからね。
[PR]
# by engekistep | 2007-10-09 12:29 | 演劇

お知らせ

 諸事情により、この「観劇日誌BLOG」は、更新しないことにいたしました。愛読してくださいました方々、今までありがとう御座います。
 私の言葉遣いのキツさを、色々な方に指摘をいただいております。よく言われるのが「やってる側は一生懸命なんだ。それをけなされるような言い方は気に入らない」と。
 その通りで御座います。
 気持ちも分かっております。だって、自分も作り手の端くれですもん。

 でも、自分の所でやって思うのは、実直な感想を述べていただける機会があまりにも少なかったことです。演劇は、アンケートという形で感想を聞かせていただいていますが、回収率は正直悪い。
 だったら目立ってやれと。「お前はどうなんだよ」という返事を欲しくて、アンケートには厳しい評価を書かせていただき、更にこういうBLOGという手段を得てからは、これに書き込むようにしたのです。 
 が予想に反し、返事をいただける皆様の言葉はなんと温かいことか。ありがたいことです。もう感謝感謝です。

 中には、絵文字や(笑)などを取り入れたら、ずっと柔らかくなるのに、というアドバイスもいただきました。でも。
 物書きの端くれとして、例えば(笑)は、読み手に「ここで笑って欲しい」を汲み取ってねという信号になりかねない。自分には、文に力があれば、そんなもの無くても笑わせなきゃあ、という欲望があるのです。まあ、拘りというか。
 結果、沢山の誤解を招く結果となりました。
 
 今回も、別の処で自分の意としない間違いがありまして。もちろんそれは私の不徳の致す所ですので言い訳はしませんが、結局それは私の表現方法が間違っていたということの証拠でもあります。
 
 改めて、過去の日誌に登場していただきました皆様には心より謝罪すると共に、深い深い感謝を申し上げます。  今までありがとう。
 
[PR]
# by engekistep | 2007-06-05 19:12 | 演劇

イーハトーブ2007

劇団B-BLACK 第12回公演  イーハトーブ2007
原作・宮沢賢治  脚色・構成・演出・佐野瞳

Bが稽古場として使っている小さな劇場での公演。今回はB=アングラではなく、宮沢賢治の作品をオムニバスのようにつなげて1本にしたものである。スタジオ公演ってヤツだね。

まあ・・そうねえ。
作品そのものは、アニメやドラマになっているもので、いたってそつなく。こんなものでしょうね。役者の半数以上が肩の力を抜いて、だらだらと、とは言わないけど、楽にやってるのが伝わる。「楽じゃねえよ」というかもしれないけど、そう見えるのは事実なんだもの。だから見るほうもボケボケと見せていただきました。
肩の力が抜けていることは決して悪いことではない。むしろ良いこと。全員がそうなら理想。でも、楽な人とそうでない人がいると、どうしたって比較しちゃう。
もしかして、それが演出の狙い?? もしそうなら奥深いぞ。

でもさあ・・・はっきり言ってしまえば別にBがやらなくてもって感じかなあ。
今まで賢治作品を見たことが無かった人には面白いと思う。これが若手だけでチーム組んでやるならまだいいのよ。本当の意味で佐野瞳さんがやるなら。勉強になるからねえ、演出や舞台構成の。まあ、事情もあるだろうから、そこはあまり突っ込まないけど。

小学校の時賢治作品教材にならなかったっけ? 世代の違いはあるにせよ、国語でやったような。あめゆじゅとてきてけんじゃ・・まるで呪文のように頭に残ってるんだけどなあ。
銀河鉄道、良いよね。大好き。正直とても期待したの。ジョパンニとカムパネラは銀河を旅する。でもカムパネラは途中下車してしまう。(あれ、ジョパンニだっけ?まあ、どっちか)
で、思うのは・・・そこからジョパンニはたった一人で帰ってくるんだ。夏祭り会場近くの原に。原に下車してからは原作に書かれているけど・・・ジョパンニはどんな思いで、一人乗ってたんだろう。出会いと別れがあって、それは避けるものではなく受け入れるものであり・・・そうやってジョパンニは大人になっていく。ジョパンニは選ばれた子供なんだ。童話を読む新しい子供達に伝えるための。俺の6歳の娘が、新しく出来た友達との別れを、淋しいって感覚をあの子なりに整理するようになった。俺らのような損得の入った汚れた感覚ではなくてね。そういう心のどこかをちくちくしてくれる感覚がどうもね・・・

で、まず注文の多い料理店からオムニバスが始まる。2人の猟師が山の中の料理店に入る。
物語はいいんでないの。でもさ、嫌なんだ。
中心的存在の雨宮さん。細かいとこまでがんばってます。パンツの後ろには手書きで男根が。
こだわりだ。  でも相手の若い役者・・・いたって普通、というか普段はいてる下着かなあ。
おいおい、俺より年上のベテランさんが茶色の猿股にまでこだわってその世界に入ろうとしてるのに、おまいは・・・パンツだけじゃない、その他もろもろ雨宮さんなりのキャラ作りをしているのに一体・・・・若いんだからフンドシくらいしてこい!と怒鳴りたくなった。というより悲しくなった。雨宮さんのBに掛ける情熱を、せめて共演者くらい理解して欲しかった。
無理に笑わせろ、というのではないんだがねえ。
まあ、こんな感じだ。全部において。Bが賢治作品が似合わないと言ってるんじゃないんだ。いつものアングラに掛ける情熱が無い、というか欠けてる。若い役者にね。佐野さんもいっぱいいっぱいなのは分かるんだけどね。せっかくのスタジオ公演なのにねえ。意識してる雨宮さん原さんはなにやら飛び道具を考えていたね。同世代として、素直に可愛いと思った。

いつも思うのはね、役者がしゃべり出した瞬間、出てくる前の時間の流れや風景が感じられることって大切だと思う。役者が板についた時から時間が流れてるんじゃなく、舞台上は切り取られた瞬間だと思うから。Bはあまりそれが無いんだよなあ。

客演組がそつなくこなし、昔からのメンバーは余裕こいて空回りになっちまう、新しいメンバーはどう絡んでいいのか探りながらと。
まあ、楽しい時間だったような感じだからいいか。スタジオでの実験だったと思えば。ツバがかかるくらいの距離だから役者の素材がはっきり出る。こういう狭いところ大好きなんだ。

次は皆同じ方向を向いて、Bらしいものを見せてほしいものだ。今回のは、ある意味サービスとして。こんなのも出来るんだよ、新人育てないと、って。
と同時に、新人外に出させないと。嫌がるかもしれないけどさ。

唯一とっても安心したのは、裏方の彼だな。彼はツナギを着て裏をやってたが、裾をばたつかないように靴下に入れてた。その姿がなんとも可愛い。ついね、芝居なんかやってるとカッコ付けたがるんだ。正直みっともないカッコなんだけどね。でも、その一生懸命仕事してる姿がいいんだ。
俺ね、こういう姿が良くてBのファンなんだがね。

まあ、次、次。
[PR]
# by engekistep | 2007-05-27 22:35 | 演劇

葵上  

アンドロ・ヌード・ポーズ 公演  「葵上」
作・三島由紀夫  演出・萩原興洋
8月26日 19時・21時  27日 19時   場所 山梨市 櫂

出演・河原地錻 小林由季 玉乃屋マチ子 萩原興洋


 8月に見た芝居の感想を10月に書いている。ちょいと手を抜きすぎだ。第一忘れてるだろう、と突っ込みを入れられそう。
 先日もとあるお方から今回の感想を早くUPせい、と催促があった。読んでいただいているというのは嬉しいものだが、自分は不器用なのよ。あれもこれもできましぇん・・・

 で、葵上。
 三島由紀夫の近代能楽集のひとつで、元々あったのに三島が大きく手を入れ三島流の本に仕立てた物。
若林光の妻、葵は、病に倒れ入院。駆けつける光。光は美しい男であり、葵の世話をする看護婦も光との会話に心乱している。
 看護婦によると、毎夜同じ時間に葵の元を訪れる婦人がいるという。不振に思う光。
 そしてその時間になり、現れたのは、昔光と関係のあった六条康子であった。
康子はこうやって毎夜葵を尋ねて来ているという。それは見舞いではなく、葵を追い込むためだという。戸惑う光だが、次第に康子の怪しい雰囲気に引き込まれていく。
 忘れ物をした康子に電話する光。ところが康子は家から全く出ていないという。では今までここにいた康子は・・・

 今回は、主メンバーの3人に、新人の玉乃屋マチ子が葵役として参加。幕開けから思ったのは、「興洋が光かいっ!」と思わず笑ってしまったのだ。
 これは良いとか悪いという意味ではなくてね。興洋とはただ単に知り合いっていう形の繋がりではなく、同じ芝居を作った仲間としての感覚が強くある。昔の興洋なら何の違和感も無かったのだが、それなりの年齢になった興洋であり、光というキャラが女を強く引き寄せる魅力のある美男子であるイメージが強かったもの。だから、お互いに歳を取ったのだなあと、役うんぬんではない部分で見てしまった。
 くれぐれも言いますが、興洋が光に相応しくないとか、美形でなければと言っているわけではないのです。
 これを前置きとして・・・
 見てない、知らない人には暴露しますが、康子は実は生霊なのです。康子の光への思いが強く、生霊となってまで、葵を苦しめ、光を奪い返したいという話なのですな。
 ってことは、前置きとして、生霊となってまでも逢いたいと思える男でなければならないのですな。顔が美しいとか足が長いだけではジャニーズでさえ生き残れないのです。
さて、そこまでの想いにさせる光の魅力を、今回はどういう形で作っていたのでしょうか。
 世の中は不思議なものですなあ。何故あんなブ男にあんな美女が、というのを良く見かけます。ホストクラブのナンバー1になった男なら、何人もの女性をはべらせて生きていくのはある意味仕事でしょうが。
 で、興洋。興洋がブ男だと言う気は全くありません。それどころか、とても面白い男であり、かれの魅力は沢山あります。でも。
 今回の光は、それだけではちと悲しい。

 今回のは、とても分かりやすい芝居だった。身体のテンションだけで表現しようとした前回の葵上との比較でも、表現したい主題を大事に演出した方法はとても評価したい。その理由のひとつは、主メンバー2人と、他の役者との身体能力の差にある。
 過去のアンドロは、役者の能力に差がありすぎた。表現活動としては、一番良い表現を出来る役者のレベルに合わせて作っていくのが理想だとは思う。でも、その理想のあまり、そのレベルに達しない役者があまりにも下手に見えてしまうのだ。
 看護婦と光の絡みのときも思ったのだが、差があるなら、彼女には同系の動きではなく、軟体系のぬめっとした動きを目指したほうが、不気味さが出て良かった・・・・かもしれない。と勝手に思った。
 
 良いのは会場とセットと、演ずるエリア処理かな。芝居って、何も無いほうが想像力かきたてられていいんだよね。金かけたからって良い芝居が出来るとは限らない。
 アンドロはそういう意味でも刺激をされるんだ。
 
[PR]
# by engekistep | 2006-10-05 13:59 | 演劇
 日時:2006年8月19日(土)18:30 pm  場所:山梨県立文学館
 演出:はやおとうじ  出演:砂澤雄一 坂本勇太
 
 三谷幸喜の名作「笑の大学」。三谷お得意のシチュエーションコメディー。舞台ならず映画にもなったまさに名作。まだ映画はみていないが、舞台は本当にすばらしかった。元サンシャインボーイズの西村雅彦と近藤芳正。演出も元サンシャインの山田和也が担当。三谷も良いが山田を演出に指名したのは正解だった。すばらしい舞台であった。

 舞台は戦中の日本。警視庁保安課取調室。 笑いを徹底的に弾圧しようとする検閲官・向坂は過去笑ったことがないと自負するほどのお笑い嫌い 。そこで喜劇を上演する劇団の座付作家・椿が、上演予定の台本の検閲を受ける。無理難題を押し付け何が何でも上演中止をさせようとする向坂と、認めさせようと何度も何度も書き直しをしてくる椿。椿は戦中日本を笑いで救おうと戦いを挑むのだった。

 感想
 ある劇団の稽古を見学したときであった。そこの演出は稽古中の台本をとにかくけなす。その本はそこそこ名の通った人の書いた台本であり、定評はあるものだった。確かTVドラマでもやった記憶がある。演出の言うのはこんなことだ。時代背景がでたらめなこと。この当時はこんなシステムは無く、こんな結末には絶対ならないと主張していた。例え演劇でもルールはある。全くの架空の話ならともかく、実際にあったであろう話を作るのだからと。
確かにそうかもしれないなあとは正直思った。たまたま以前興味を持った史実で、それについて調べたことがあったから。シェイクスピア時代ですら、舞台上で繰り広げられる話は、時間が一致していなければ、場所が一致していなければなどと決まりがあるくらい。(興味のある人は調べてみると面白いかも)
 でもさ、今の時代にどうでもいいじゃんこんなこと。それ以上にその本がとても良いものだから。
 恐らく作家は、そこに登場する人物を生かすために都合良くシチュエーションを変えたのだろう。作家が書きたかったのは史実ではなく、そこに生きた人がどう生きたかを書きたかったんだから。そこを掘り下げないでその劇団は稽古を進めたものだから、作品は褒められるものじゃなかったなあ。
 で、笑の大学。当時はこんな面接による検閲なんて無かった様子。担当者が書類だけ見て決定する。作家が呼ばれて取調べを受けるときはすでにレッテルを張られた時。その後は・・・
 それをこんなふうに仕立て上げられるんだものなあ。三谷のセンスが光る。

 さて、ジアス版笑の大学は・・・これも必要かなとは思った。本物の舞台版を見ると分かるが、西村だから三谷はこう書いたんだなとか、近藤だからこんな台詞回しなんだろうなと。例えばサンシャイン時代から、西村はちょっと皮肉な感じの台詞の喋りが上手かった。さらりとしゃべるのだが妙に心に来るいやみなのだ。例えば自分の感情を一言で言い切る時。好き、嫌い、間違ってる。先にこの感情をポンと投げておいてからスラスラと台詞をつなげる。これが良い感じのいやみになる。
近藤もそう。近藤の振り回され感はあまりにも見事で、かわいらしさすら感じる。大汗かいて一生懸命になればなるほど滑稽で悲しい。
 三谷の本を知ってるからこその山田の演出である。
 で、ジアスの何が必要かなと思ったのは、ジアスの演出が山田和也の演出のコピーであったこと。他の芝居でコピーってのは面白くない。特に前記のように当て書きのような場合は、その役者が演じてこそ面白いってのがどうしてもある。
 でもね。これに限らず三谷の舞台を見たいと思っても、少なくとも山梨ではやらない。シアターコクーン1ヶ月の公演であっても、チケット前売り電話予約10分で売り切れである。笑の大学は映画でも、BSの演劇番組でもやっているからまだいいが、一体これだけの名作をどれだけの人が見ることができるのか。
 ジアスの演出がそこまで狙っていたのかは不明だが、今回は役者が二人とも西村雅彦と近藤芳正になりきろうとしていた。細かい台詞のイントネーションまで取り入れようと努力をしている。逆に言えば、このまま三谷と山田和也を超える「笑の大学」を作るのははっきり言って無理だと思う。それならば「実はこんなに面白い演劇が世の中にあるんだよ。演劇って良いでしょ」というのを山梨から離れないけれど面白い演劇を見てみたい人に紹介する。三谷って良いでしょ、山田っていいでしょと。そういう役割も必要だなあと思うのだ。
 
 これと同じ感覚を、つかこうへい作品にも感じる。つかの作品は「口立て」と言って、基本となる台本はあるけれど、稽古中に役者にしゃべらせて、ストーリーの背景も含めて役者に演劇を合わせて作り変えていく。売られている台本はそうやって完成したものであるから、アマチュア劇団が上演してもその役者じゃなければ表現できない、あるいは意味が通らないこともある。更には演出もその役者に合わせたテンションで繰り広げられるから、別の役者、別の演出がやってもどこか欠けたような世界観になっていく。それならばつかのマネをした演出法で上演したほうがいいのだ。
 
 というわけで、「笑の大学」を山梨の人たちに紹介するという役割は上手く行ったように思う。客にも十分受けていたし。こうなったら三谷作品を端からやって行って貰いたい。今回のように役者も演出も細かくコピーして。三谷は映像ではどこかピンボケになる。三谷の真の面白さは舞台なのだ。それをどうかアピールして欲しい。
 客の評価は良いでしょうね。間違いなく。

 で、もうひとつの感想。
 俺はね、そんなもの観たい訳ではないのです。これだけ世に評価された作品。コピーがオリジナルを超えるのは不可能に近い。ジアスがこの作品をどう解釈し自分たちが何をしたいのか。それを知りたいのだ。それこそが生の舞台の面白い所なのだから。この作品のジアスらしいところはどこだったのでしょう。未だに分からない。向坂の苦しみってなんだろう。
 本物の舞台を観て、ぐっと来たのはあのラストだった。西村がそれまで見せなかった表情で「ここはこうのほうがいいと思うんだけどね」と言い、机に台本を広げる。不器用な姿勢で。椿は一瞬唇を噛み締め、受け入れる。舞台はフェードアウトしていく。西村雅彦と近藤芳正をコピーするなら、ここまでやって欲しかったなあ。
 オリジナルは、本当に、良い舞台だったんだからさ。
 

 逆に、映画がとても楽しみになってきた。「有頂天ホテル」は面白かった。でも悔しい。これを舞台で見たらもっと面白かっただろうなあと。だから「笑の大学」は映画館に行かなかった。行けなかった。どうだろうなあ。レンタルDVDが楽しみだ。
 
[PR]
# by engekistep | 2006-08-22 11:04 | 演劇
2006年7月15日(土)  会場18:30/開演19:00 山梨県立文学館
作・鴻上尚史 演出・MIYUKI

 山梨の女性だけの若手の演劇チーム。フリプロももう4回目の公演。若手がんばってるねえ。
 先日のBの公演の時に真由さんと会った。土曜日1回きりの公演。勿体無いねえと聞いたら「お客が集まらないから」と。難しいところだね。分散しても2回公演にしてトータルの客数を上げるか、1回にして席を埋めるか。まあ、それ以前にホール使用料、有料スタッフも2回分というのが重くのしかかってくるわけで。そう考えると同じ県内のBはやっぱ異質だな。お金も情熱も掛け方が桁違い。
 安く押さえる方法はないものかねえ。

 ハルシオンデイズは第三舞台の鴻上尚史の書いた本である。現在は第三舞台も活動を停止。鴻上はプロデュース公演を中心にあちこちやってますなあ。純粋な第三舞台は俺もリアル世代なんだけど、チケット争奪戦わずか1勝で活動停止されてしまった。それも最後の方の公演で、珍しくフルメンバーに近かったのを観る事ができて面白かったけどね。
 ここ10年以上、鴻上の書く本はパターン化している。キーワードは「インターネット」「精神的病気」「トリップ」「過去と現在」「壁を越える」「出会いと仲間」など。過去の作品をリメイクした物もこれらのキーワードをちりばめてから再出発している。おそらくこれらのキーワードは鴻上にとってものすごいショックな出来事だったろうな。ネット普及により社会的価値観さえ覆される、今まで理解不能で恐怖でしかなかった精神世界が細分化・パターン化され素人でも分かるような言語に変換された。まあ、正しくは理解出来た気になった。羊たちの沈黙やMATRIXのようにね。
でもさ・・・パターン化しすぎって思っちゃうんだな。と思う反面、この手の事件の起きない日は無いって事も哀しい事実だな。

 ネット掲示板で自殺志願者を集める書き込みを見た4人は誘いの場の公園で出会う。自殺意思を確認しあう4人。出来ることなら「苦しまずに」。だがその一人は実は自殺を止めようとするカウンセラーであり、彼女もまた自分のクライアントの影を人格として持っていた。数日後、主催者の自殺の書き込みで彼女のマンションの1室に集まるが、主催はそんな書き込みはしていないという。それどころか先日会った時の主催とどこか違う。彼女は起きるであろうミサイル攻撃に対して「人間の盾」となり子供たちを守っていると言う。消極的死ではなく、人々の犠牲となる死。それも明るく楽しく死ぬための方法を探り・・・

 「で?」

 感想を正直に書かせてもらうとこの一言だけしか残らない。演技というところだけ取り出してみれば散りたてて悪いって所も少ない。でも、良いところって何だろう。
 確かにピンポイントで拾い上げれば、あの場面のこういう演じ方は良いねえ、と挙げられるのだが、そんなもの観に来たわけじゃあないし。そんな個人プレーいらないし。
 なぜこの人たちは死にたいのだろう。もちろん台詞としても少しはある。でもそれが役者演ずる「その人の苦しみ」に昇華されていないのだ。苦しく死ぬのは嫌だから皆でなにかしながら死のう、というだけの本だったのかな。最後はどうなったのだろう。はっきりとした結末は書かれてはいないが、観た人が自由に理解できるほど何かを与えてはいないんだな。「共感」が出来ないんだ。だから何の感動も無く終わってしまった。
 鴻上の作品である「トランス」。3人芝居ではなかなかの名作であり、あちこちで上演されている。トランスに登場する人物は、精神的病と同時に人格的にも欠けた3人が、まるでパズルの様に話を進めていく。お互いが足りない所、欠けてしまったところを他人の言葉で埋めていくように。
 精神病院。それぞれの特徴のある3人の患者は、それぞれの病気の特徴を真似しながらロールプレイをし、役割を交代させていく。AがBになった時、Aは自分の言葉でBにとっての死を語る。そこで初めて自分を見つめられるという話だ。
 このトランスだって、台本に書かれた字面をそれっぽくしゃべってもだめなのだ。同じ台詞を役割を代えて、そこにそれぞれの思いが入って初めて生きた言葉となる。
 役者と演出のコミュニケーションの無さが原因だろうか。良いところは沢山あるのだ。それが証拠に笑いを取るシーンでは子供が沢山笑ってたじゃないか。今度は笑いじゃないシーンで目をキラキラさせてやろうよ。

 あと、どうも気に入らなかったのは、音楽だな。芝居と音楽の方向性があってない。どちらも個人プレーだ。自己満足な音の出し方だな。確かに芝居は音で救われる事が沢山ある。新感線のように音が無くては成立しない芝居もある。今回のはそうだったかなあ。音で役者を引っ張ろうとでもしたのだろうか。だとしたら傲慢でしかない音だな。とにかく気持ち悪い。これも構成を含めた音と演出と役者のコミュニケーション不足。だったら無しで出来るくらいになって欲しいなあ。
 若い人が演劇をやる。ものすごい期待をしながらみているのだ。がんばれ。
[PR]
# by engekistep | 2006-07-17 10:00 | 演劇

秘密の花園

c0017847_18283077.jpg劇団B-BLACK 「秘密の花園」  作・唐十郎 演出・原和人
青葉町(南甲府)特設会場   http://www.b-black.jp/mac/index.html
平成18年7月8日・9日 PM7:00~

 久しぶりのB、それも唐作品である。初めてBの公演を見たのも唐作品だったかもしれない。
 Bは、山梨では珍しいアングラを主とした劇団である。さらに公演ではホールを使用せず、倉庫などを借り切って舞台や客席を手作りするという、とんでもないところである。今回も南甲府駅そばの大きな倉庫を2週間借り切って設営。かける金額も7桁は当たり前、スタッフもその道のプロというアマチュアの範囲を超える集団である。撤収すると分かるが、使っている材の料を見ると感心するより呆れる。
今回は準備段階から手伝いたかったが時間が無く、今回は受付と撤収のみ参加することになった。
 
 で、舞台だが。相変わらずすげー。舞台設定は安アパートの1室。上手には共同便所(劇中ではご不浄と表現)正面には襖(正しくは窓なのだが、襖の表現のほうがぴったり)がある。劇中では後半大雨のため町中が浸水し、窓の外は川のようになってしまっている。Bはそこにプールを作って、実際にその中に飛び込んだりボートやイカダを浮かべた。下手すると舞台よりプールのほうが広いんじゃないかな。
 
 ストーリーなのだが。残念ながらこの台本を読んだことが無い。唐作品に共通して言えるのは、例えばその作品に貫く主張というものが殆ど無かったりするし、登場人物も複雑に絡んでさらに他人の思いを自分の台詞としてしゃべったりするのでものすごく曖昧である。なのであえてストーリーは書かない。もしこの本をどこかで手にすることがあるなら、一度目を通してから芝居を見るといいかもしれない。
 おそらく、今回初めて唐を見たという若者もいるであろう。で、彼らの感想はたぶん「とても複雑で難解な作品」と思ったに違いない。唐の作品をTVドラマ乗りで観たら、たぶん理解しがたいであろう。役者の口から出る台詞をそのまま受け取って理解しようとしたら楽しめない。
 唐作品を読むと、彼の台詞が目の前に起きたドラマを多発同時的に言葉にしているのが分かる。
 自分は背が小さくて巨乳の女性が理想なのだが、例えば仕事の関係でそのような女性が目の前に現れるとすると、仕事をする相手として冷静に接する自分と、口には出さないが下心を持って見ている心の言葉が同時に存在する。と、同時に、相手の女性にも似たような背景がある。仕事の相手として冷静に接している姿と、「嫌だこの人、いやらしい目をして」という心の言葉と。それを同時に台詞として成り立たせようとする。さらにそこに第三者を登場させ代弁するしね。
わーなんて下品な、と思われるかな。でもそれも、唐流の変換法で、美しい言葉で、詩的にやられるもんだから本当に感心するのだ。
 
 さて、感想だが。
 とても切なかった。芝居が・・・ではない。Bに対してだ。作品のレベル的に見ると、過去のBの作品の中では残念ながら下のほうである。なぜなら・・
 理由は二つ。
 パワーが無い。雨宮さん、原さんに共通して言えるのは、過去のB作品からの比較ではたぶん一番シンプルに、確実に演じていたと思う。立ち姿で言えば無駄が無く綺麗に立っていたのではないか。台詞もちゃんとしゃべっているし。よく言えば過去最高の「演技」だった。演出としてはそれでいいのかも知れない。でも、そのせいで唐の書く台詞のパワーが消されてしまっているのだ。ここで必要なのは、雨宮さん演じるアキヨシがそれでも立ち続けていようとする力強さではなかったか。良く分からない台詞の羅列を成立させるためには、もっともっと力技が必要だと感じた。
 二つ目。役者間のレベル。
 若い役者は良い。エネルギッシュだもの。上手いとか下手とか以前に、「俺はこの役をやるんだ!!」という情熱がひしひし感じて良い。アングラっぽいのだ。逆に言うとこれがアダになる。どうしても役者間のギャップが目立ってしまうのだ。
 これも原さんの言う世代交代なのか? 

 今回とても良かったのは、かじか演ずる高橋誠さんである。過去の公演(ただし自分は全て観たわけではない。7割は観たと思うので、観てないのもある)での高橋さんの役は、どちらかというとちょっと引いた感じの役を振られていた感じがある。彼の顔つきもどっちかというとクールなほうなので、それはそれで間違いは無かったのだが、どこか本気ではないのか、と思わせる演技が多かった。ところが今回のはすばらしい。立ち姿も声も台詞もちゃんと通ってる。感覚から言うとちょっと頭の弱さも持った色男的役なのだが、全てにわたってキレがいい。高橋さんは顔もシャープで良い男なんだよね。なぜにもっと早くこのような役を見せてくれなかったのか。
 
 上野の不忍池に飛び込む唐一行。彼らのパワーをこれからも田舎の若者に引き継いで欲しい。そのはちゃめちゃとも取れる演劇から発するドラマに感動させてよ。原さん、雨宮さん。
[PR]
# by engekistep | 2006-07-10 17:39 | 演劇